懺悔してみるなの [雑感]
父が亡くなって早3年。12月11日は父の命日でした。
去年までは3回忌などの法事があったので、ブログで父の法事のことを記事に書き、その機会に父との昔の思い出を記録として残してきました。でも今年は法事もないことだし、記事を書くのはやめようかなっと思ったのだけど、やっぱり父との思い出を一年に一度くらい文章に残しておくのもいいんじゃないかなっと思い直しました。
命日の日、私は夕方から仏花を持って実家を訪問し、父のお仏壇をちょこっとお参りして、あとは母の作ってくれた手料理を据え膳上げ膳でたくさん食べて、実家でゴロゴロ寛いで帰ってきました。何しに行ったんだか…(^^;;;
いまだに父が亡くなったという実感が全然なくて、父がいなくても、ただちょっと今でかけてていないだけで、そのうち帰ってきそうな気がします。そのことを母に言うと、母も「お父さんは姿かたちを変えただけで、今もきっとここらへんにいるんだよ」っと言ってました。カレンは私と一緒に実家に行くと、父の仏壇の前に置いてある座布団の上でよく寝ています。他にも座布団が敷いてある場所はあるのに。仏壇にお供えしてあるお菓子や果物をイタズラすることも一切ありません。カレンもじーちゃんとお話してるのかなぁ~?
母がベランダで作ったレモン。
その昔、私がまだ大学生だった頃。
私は別の大学の軽音楽部でジャズのビッグバンドに入っていました。そのバンドが夏休みに合宿に行くことになりました。毎年合宿に行くときはレンタカー屋さんでバンなどを借りて楽器を搬送するのだけれど、私は中古車屋の娘。お店にころがっているバンを楽器搬送用に父から借りることにしました。
真夏の暑い昼間の高速道路。バンの運転手は私ではなくバンドの先輩。私は別の人の普通の車に乗っていました。父から借りた中古のバンがオーバーヒートを起こしてボンネットから煙がモクモク。高速道路の途中で立ち往生…。
合宿先に着いてから、私は父に電話しました。今思えば私はかなりヒドイことを父に言ったと思いますが、当時はとにかくバンドの他のメンバーに迷惑をかけたことが申し訳なくて、途中でオーバーヒートを起こすようなポンコツな車を貸した父が許せなくて、電話口で泣きながら父に「もうお父さんなんかに何も頼まない!」と言ってしまいました。
父は娘のために貸してくれたのに。父の性格を考えれば、私に貸す前にはきっといつもより念入りに念入りに点検してくれていたのだろうに。オーバーヒートを起こして煙が出るほどヒドイ状態になる前に、運転手が水温計をちゃんとチェックしていればそんな事態になることもなかったはずなのに、私は運転手の非よりもとにかく父を責めていました。父のお店の大切な売り物の車をダメにしてしまった損害も考えず。
当時、私は大学の寮に住んでいたので、その後父と会話をする機会もないまま1か月くらいが過ぎた頃、母から電話がありました。父はすっかり意気消沈して食欲もなくし、1か月で何㎏も痩せてしまったのだと。それでも当時の私は、「お父さんが悪い」と思っていたので謝ることもなく、なんとなくうやむやなままに過ぎていってしまいました。
今では、当時の運転手が運転に不慣れだったことも、父がどれだけ私のために頑張ってくれたのかも、私がどれだけアホーだったのかも、よーくわかっています。
お父さん、ごめんね。
アホーだった娘を許してね。
きっと今頃お空の上で苦笑してるね。
じーちゃん、ざんげします。今日ネコさんのおとしものをパクっといっちゃいました。
2007年を振り返って [雑感]
去年の今頃、一年を振り返ってみて、自分のこの一年の気持ちを整理することって結構大切なことだなーっと思ったので、今年もやってみようと思います。
★2007年の出来事
成功したこと:ちょこっとだけ収入UP。
こんなはずじゃなかったこと:腰老人になったこと。
嬉しかったこと:腰痛の間ずっと、母が毎日助けてくれたこと。
誇らしかったこと:腰痛から復帰したときにカレンが母ちゃんとの散歩を喜んでくれたこと(#^.^#)
悔しかったこと:カレンに囓られたこと(T.T)
びっくりしたこと:ドラゴンズ日本一!ヽ(^0^)ノ
楽しかったこと:家族でオートキャンプ。
新しく始めたこと:英語の勉強(新しくというか再開というか)
★2007年の目標だったこと
ちゃんとした料理をすること→全然できてません~。
整理整頓→去年よりは多少マシになったかな?
仕事のスピードアップ→まだまだです。
カレンの体重維持、健康維持、毛玉撲滅→おかげさまで健康です(#^.^#)
★2008年の目標
ちゃんとした料理をすること(去年からの継続)
カレンの拾い食い阻止
庭を綺麗にすること
英語のおべんきょ
このヒトには目標なんてあるんでしょうか?
お散歩中に母ちゃんが持ってるオヤツを全部奪い取ることかな。
みなさま、良い年をお迎えくださいねー!
来年もよろしくなの♪
カレンと花と父しゃんと。 [雑感]
カレンが相方に羽交い締めにされるとき、
ホントは解放されたいのに、大好きな父しゃんのために!と一生懸命大人しく耐えているので、時間を見計らって私が相方の腕をムリヤリ広げてカレンを解放してあげるんだけど、この日はいつものように私に救いの視線を送ってこない。
あらら?一緒に寝ちゃってる?
しかめっ面っぽく見えるけど。。。鼻が父しゃんの手首に食い込んでるように見えるけど。。。眠気には勝てなかったのか?観念したのか?仲良く寝ちゃってました。相方はカレンが一緒に寝ちゃってくれたことが嬉しかったようです。この後相方が怪獣のようなイビキをかき始めたので、カレンはビックリしてソファから落ちるように飛び降りちゃいましたけどねぇ(^o^)
お庭のお花が綺麗に咲いたので、少しだけ切って空き瓶に挿してみました。
お花の写真を撮ってたら、あらら?可愛いお花のむこうにも可愛い子が(#^.^#)
11月24日は父の3回忌でした。
早いものですね。父が亡くなってもう2年が経ちます。いまだに実家に行けば父がテレビの前に座っているような気がしちゃいます。まだ実感がないんですよね。なんとなく自分が父の死をまだ受け入れられていないような気がいつもします。
20代の頃、私は過換気症候群(過呼吸)だった時期がしばらくありました。
当時、『過呼吸』というものが何か私も両親もまったく知らず、突然苦しみだした娘に両親もうろたえ、夜中だったけど知人がやっている病院に連絡し、すぐ行くことになりました。
母が病院へ行く準備をしている最中、波のように発作が襲ってきて、父の目の前で私は息が出来なくてたまらなくなりました。
「助けて…。助けて…。」
私は父に向かって言っていました。でも父はどうしていいかわからず、私の両手を握りしめるだけでした。そのときの父の顔を今でも覚えています。不安そうで、オタオタ、オロオロで、困り切った顔をしていました。
娘の私にはいつも優しくて寛大で「何だってお父さんにまかせておけ!」っな父だったのに、こんなにオタオタな父を見たのは初めてでした。
発作で苦しんでいる最中は考える余裕なんて全然なかったけど、どこか冷静に観察している自分も奥の方にいて、
「苦しんでる娘が救いを求めてるのに、あんな不安そうな顔されちゃ、余計不安になっちまうヨ」
って思ってました。今思うと、父は娘には弱かったんでしょうね。あのオタオタっぷりが父の、私への愛情の深さだったんだろうナって思います。
11/24、自宅から見た朝陽。
当日はピーカンで小春日和のぬくぬくな日でした。さすがおとーさん晴れオトコ!
私も『娘』には弱いです(^.^)
あ、起きちゃった(^^;;;
2006年を振り返る [雑感]
もう大掃除済みました?私はまだまだやらなきゃいけないことがいっぱい!でも仕事は年末ギリギリまでと年始早々から入っているし、カレンのシャンプーもしなきゃいけないし、年賀状もまだ宛名書きが出来ていないので、この際、こんな寒い中で庭が草ボーボーなのは見なかったことに…したいなぁ。
そんなわけで、今年の記事は多分これが最後ですね。
★2006年の出来事
成功したこと:カレンがおにかいに行けるようになったこと。
嬉しかったこと:心温かい友達にたくさん気持ちをもらったこと♪
悔しかったこと:ドラゴンズが日本一になれなかったこと。
誇らしかったこと:「いい仕事をしている」と言われたこと(^ー^)
こんなはずじゃなかったこと:体重計が見たことのない数字を示していること(T.T)
びっくりしたこと:相方が包丁を買ってくれたこと♪
楽しかったこと:大阪オフ会。
新しく始めたこと:レレレに乗ること。
★2007年の目標
ちゃんとした料理をすること。
整理整頓。
仕事のスピードアップ。
カレンの体重維持、健康維持、毛玉撲滅(^o^)
このヒトは年末年始関係なく毎日を楽しそうに過ごしています。
左手で掘りっ掘りっ掘りっ♪
右手で掘りっ掘りっ掘りっ♪
ベッドメイキング完了(^。^)v
皆様、良いお年をお迎えくださいネー!
ずんぐりむっくりのせくちーハゲオヤジ(ビリージョエル) [雑感]
12/12、ビリージョエルのコンサート(in ナゴヤドーム)に行ってきました。
いやー、もう感動でした。いい音楽を聴くと自然と涙が出てきちゃいます。
ビリージョエルは最近はライブ活動だけで新曲は出ていないので曲目は懐かしい曲ばかり。客層も30代前後が多かった気がします。
すっかりずんぐりむっくりのハゲオヤジになっちゃったけど、ライブはとってもパワフルでせくちー♪57歳とは思えませんでした。ビリー自身もMCで「この頃は髪がたくさんあった」とか「この曲の頃は少し髪が減った」とかって笑わせてくれました。アル中とかうつ病とかいろいろウワサがあるけれど、こんなに素敵なおじちゃんならアル中でもうつ病でもなんだっていいよー♪
最初の曲は怒れる若者/Angry Young Man。ピアノの早弾きで始まります。ピアノ好きにはたまりません。
ストレンジャー/The Strangerが流行った頃、まだ小学生か中学に上がりたてくらいだった私は、洋楽好きだった兄にこの曲を教えてもらいました。英語の意味もわからないまま兄に見せてもらった歌本に書いてあるとおりのカタカナで「ウェル ウィ オール ハブ ア フェイス~♪」っと覚えました。今でもこの曲をそらで歌えるのは兄のおかげです(^ー^)
ニューヨークの想い/New York State Of Mindは、私が大学生の頃、ジャズのビッグバンドでピアノを弾いていたときに、バンドとおつきあいのあった矢頭菜穂さんというプロの歌手さんが好きだった曲で、彼女の歌うバックでピアノを弾かせていただいた思い出があります。アメリカかぶれな私が特に好きな街がニューヨーク。ビリージョエルの曲にはニューヨークにちなんだ曲がたくさんあるけど、中でもこの曲は私のお気に入りです。
かっこいい「New York State Of Mind」のライブ映像はこちら。
途中、野球帽をかぶったと思ったら、ドラゴンズの帽子でした。しばらくかぶったあとで客席に飛ばしてくれました。欲しかったなぁ…。
最後はやっぱりピアノ・マン/Piano Man。あー、やってくれて嬉しかった。ないわきゃないよなーとは思っていたのだけど、なかったらちょっと寂しい思いをするところでした。
ピアノ好きとしてはルートビアラグ/Root Beer Ragを生で聴いてみたかったナという気もしますが、あれはちょっとマニアック過ぎるかもしれないです。
これが最後の来日か?なんてことも言われているんだけど、また来て欲しいなぁ。
参考までに曲目紹介。
怒れる若者/Angry Young Man
マイ・ライフ/My Life
ウィーン/Vienna
オネスティ/Honesty
エンターテイナー/The Entertainer
ザンジバル/Zanzibar
ニューヨークの想い/NY State of Mind
マイアミ2017/Miami 2017
アレンタウン/Allentown
ストレンジャー/The Stranger
素顔のままで/Just The Way You Are
ムーヴィン・アウト/Movin' Out
イノセント・マン/Innocent Man
ドント・アスク・ミー・ホワイ/Don't Ask Me Why
シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン/She's Always A Woman
ザ・リヴァー・オブ・ドリームス/The River Of Dreams
地獄のハイウェイ/Highway To Hell
ハートにファイア/We Didn't Start The Fire
ビッグ・ショット/Big Shot
ロックンロールが最高さ/It's Still Rock & Roll To Me
ガラスのニューヨーク/You May Be Right
アンコール:
若死にするのは善人だけ/Only the Good Die Young
ピアノ・マン/Piano Man
レレレのクリスマスパーティにも行ってきました。こちらもコンサート付き。軽食+ドリンク+おみやげ付き。
レレレのクリスマスツリー。
レレレのサンタさん。
レレレの正体。
こちらは段ボールパーティ。
おにゅーな段ボールをゲット。
んぐぐぐぐ。
ムムムム。
ハグググ。
寝ころびながら遊ぶなんて横着過ぎですヨー。
きゅうけい。
娘より孫 [雑感]
早いもので、父が亡くなって一年が経ちました。
先週の日曜日(12/10)、一周忌を行いました。
数日前までの週間天気予報では、その日は雨の予報。
もも「お天気悪そうだね。」
母「ホントにねぇ、みんなに来てもらうのに困っちゃうね。」
もも「大丈夫よ。お父さん晴れオトコだもん。なんとかしてくれるよ」
父は、大好きなゴルフに行くときは、天気予報が雨だろうが嵐だろうが、父がゴルフ場に着くと晴れると言われるくらいの晴れオトコでした。
そして当日。
さすがだね。
大勢の親戚が集まり賑やかで楽しい一周忌でした。
一周忌がこんな賑やかでいいのかな?でも賑やかな方が父も好きだったから喜んでるかもね。
黒飯。
父が存命中も、私はよくカレンを連れて実家に遊びに行っていたのだけど、カレンは実家でも上下関係をきっちり決めていたような気がする。
母は、カレンにとって、べったり甘えさせてくれる人。
兄は、カレンにとって、一緒に遊んでくれる仲間。
そして、父はこの家のボス。
実家に遊びに行って、まず母に会うとカレンは喜んで走り寄っていって、べーったりと甘える。
兄が仕事から帰ってくると、玄関まで迎えに飛んでいって一緒に走って戻ってきて、すぐ「遊ぼ!」の姿勢をとる。
父が仕事から帰ってくると、同じように玄関まで迎えに飛んでいくんだけど、父に対してはオスワリをしたりシッポをブンブン振ったり舐めようとして甘えるけど、母に対してのようにべったりでもなく、兄に対してのように仲間な感じでもなく、ちょっと距離を置いてリスペクトしている感じ。
それぞれに対する接し方が違うのがおもしろい。
今、父のいない実家に遊びに行くと、ボスのいない実家でカレンは少しずうずうしくなった気がする。
父がいる頃はこたつに乗り上がるようなお行儀の悪いことはしなかったはず。
姿が見えなくっても、じーちゃんはそこにいるんだから、悪いことするとバチが当たるぞぉーー!
ところで、父は毎日仕事の関係で手帳をつけていた。
父が亡くなったあと、お店を片づけたら10年間以上の手帳があった。
誰に会ったとか、どこへ行ったとかがかなり細かく書いてある。
私がカレンと一緒に実家に遊びに行った日は、ちゃんとそのことも手帳につけていたらしい。
でもねぇ、お父さん。。。
夜カレン来
私じゃなくて、カレンかよぉーー
じいちゃんはブタ鼻食ったことあったのかなぁ。。。
お父さんが見てる [雑感]
今朝、目が覚めたら、ものすごくはっきり夢の内容を覚えていた。
夢の中で、私は母と兄と一緒に父の墓参りに行った。
墓参りの帰り道、母が運転する車が道を間違え(?)、歩道の段差がなくなってる部分から乗り上げ、歩道を車道だと思って進んでしまう。
もも「ここって歩道だよね!?」
ビックリして車を止め、母も兄も私も車から降りて辺りを見渡す。
もも「どうしよう…」
歩道をこのまま進むわけにはいかない。
母はちょっと考えてから
「頭をここのギリギリまでつっこんでからバックで出すワ」
と言いながら運転席に戻っていってしまう。
さっきの段差からクルマを車道に戻すには民家の門ギリギリまでクルマの頭を切り返してバックで出るしかない。でも歩道の幅も、その民家の門までの距離もあまり余裕はない。
そんなムチャな~~って思いながら私はその場に立ちつくす。
すると、車の中から父が降りてきた。
父の姿はちょっと若い。50代か60代くらいのように見える。
「お父さんが見てるからおまえたちは車に戻りなさい」
「え?」
「大丈夫。お父さんがちゃんと見てるから」
そこで目が覚めた。
音声付きの父の夢を見たのは、父が亡くなって以来初めてでした。
もうすぐ一周忌です。
初盆 [雑感]
お盆が終わっちゃいましたね。
今年は父の初盆でした。
父は戻ってきたのかなぁ~?なんて思いながら夜空を見上げてみましたが、なんだかまだ実感が湧かないんですよね。
父が亡くなって8ヶ月。
長いような短いような不思議な感じがします。
父は短い入院生活のあと、あっけなく逝ってしまいました。
入院当初、髄膜炎は死ぬような病気じゃないから…と医師にも言われていたから、私も家族も、きっと父自身もまさか死ぬとは思っていなかったんじゃないかと思います。
元々、父は糖尿病を患っていたので体力があまりなかったらしく、髄膜炎のキツイ治療に耐えられなかったのだろうと思います。
でも、もし医師がもっと早くに父の体力が治療にもたないと判断してくれていたら…とか、もし私たちがもっと早くにそのことに気づいてあげていたら…とか、他に治療法はなかったんだろうか?とか、看護師がもっとマメに様子をみてくれていたら…とか、いろんなことを今でも考えてしまいます。
キツイ治療を始めて、父はほとんど話せなくなり、意識もだんだんなくなっていきました。私は「この治療さえ終われば、すぐ元の父に戻るのだから、今だけの辛抱」と思っていたけれど、結局父はそのまま帰らぬ人になってしまいました。
もし、父の余命があらかじめわかっていたら、生きているうちにやっておきたかったことをやれたのではないか?話しておきたかったことを話せたのではないか?もっと家族との時間を持つことができたのではないか?
「気の弱い人だったから余命なんてわからなくって良かったんだよ」と母は言います。
公園やスーパーで仲の良さそうな老夫婦を見かけると、なんだか悔しい気分になります。元気だった頃の父の方がずっと若そうに見えるのに、こんなにヨボヨボそうなお爺さんがこんなに楽しそうな生活をしているなんて…って。。。私ったら考え方が歪んでますね。
「こんなのんびりした時間を少しでも持たせてあげれば良かった」と思います。父はずっと仕事をしていたので、母とのんびり過ごすことがあまりなかったように思います。もう少し働いて、体が続かなくなったら仕事を引退してもらって、母とのんびり公園を歩いたりする時間を持たせてあげたいナと思っていました。でもその反面、父にはいつまでも現役でいて欲しい気持ちもありました。いつも元気に仕事をしている父を見てきた私には、のんびり隠居生活を送る父の姿は想像できませんでした。いつも颯爽としている父、自分が70歳を過ぎても、地下鉄で老人をみかけると、自分より年下かもしれないのに席を譲ってしまうような人でした。
時々、父の夢を見ます。父は何をするわけでもなくただ私の前にいます。私と何かするわけでもなく、私に話しかけるでもなく、ただ私の方を向いて立っています。私は「なーんだ、やっぱりお父さん生きてるんじゃん。死んだなんて思ったのはやっぱり勘違いだったのね。」っとホッとします。
でも夢から覚めると、現実世界では父はもうこの世にいないんですよね。
今年の春、父のお墓を建てる場所を購入しました。まだ墓石は建てていないけど、お盆にその場所の草取りに相方が一緒に行ってくれました。
父のお墓になる場所に、大きなバッタがいました。
「父ちゃんがバッタになって見に来てるヨ」
相方のそんな柔らかい一言が心に沁みました。
バッタさん見つけてもチャイチャイしちゃダメなの。
ブランパン [雑感]
友達の友達の友達がパン屋さんをやっているという話を聞いたので、そのお店に行ってみました。
ブランパン(Blanc Pain)というそのお店のオーナーさんは、リヨン出身のフランス人。
日本語ペラペラらしいと聞いていたのだけれど、フランス人だから「フランス語で話しかけられたらどうしよー!」ってドキドキしてたら
「Nice to meet you !」
って。。。
…英語かヨ!
オタオタ慌てまくった私は
「こんにちは!はじめまして!」
っと日本語で挨拶してしまいました
一見ごつくて怖そうなオジサンだと思ったけど話してみるときさくなおじさんでした。
(お店のホームページ見たら、その『おじさん』、私より2歳年上なだけだった。オジサンは失礼だね)
ランチでフランスの家庭料理もやっているということだったので、食べてみることにしました。
バジルとトマトの冷製スープ
食べかけだけど。
これがすんごい美味しかった~~。トマトの味がとっても良いの。普段私がスーパーで買うトマトじゃ絶対出ない味。太陽の光をちゃんと浴びて育ったトマトの味がします。
ガトー・ド・フォワ
鶏レバーをスフレ仕立てにしてあります。レバーの臭みは全くありません。言われなかったらレバーってわかんないくらい。きのことオリーブの入ったトマトソースは味が柔らかかった~。リヨンの「おふくろの味」なのだそうです。
パンはお代わり自由
レーズンパンが美味しかった♪
クレムブリュレ
トロッと口の中でとろけそうな焼きプリン。何個でもいけそう
帰りにパンを買って帰りました。
イチゴジャムも購入。
背後にスナイパー1名。
(右のパンが食べかけのように見えると思った人、正解!)
母ちゃんだけズルイね。
アタシにもなんか食わせろ!
いいものブラボー [雑感]
ある日、夜中に仕事から帰ってきた相方がTVを見ていました。
しばらくすると、相方が私の仕事部屋に来てこんなことを言い始めました。
相方「買っちゃった。。。」
もも「何を?」
相方「ほーちょー」
もも「ほーちょー?」
相方「テレビの通販で包丁、今申し込んじゃった」
もも「???」
相方「だって最近なんか切るときカッツンカッツンいってるみたいだから」
あいやー、見てないようで意外と見てくれていたらしい。包丁全然研いでなかったから切れ味悪くて悪くて…。
そんなわけで数日後に宅配便が届きました。
左から
ピーリングナイフ
三徳
牛刀
三徳(小)
これにあと簡易シャープナーも付いてます(写真撮り忘れた)。
刃と柄が一体のため衛生的で耐久性にも優れているらしい。
早速三徳を使ってみたところ、切れる切れる~~♪力を入れなくても刃の重みですんなり沈んでいく感じ。うほほ、これは楽しい
ピーリングナイフは相方がBBQのときなんかに使うとしても、私が残りを分けて使いこなせそうにないし相方が「お母さんにも分けてあげたら?」と言ってくれたので、牛刀と三徳(小)はもも母の元にお届け。もも母も喜んでくれました~~。
最近ときどき私のブログを読んでくれているらしい相方、届いた包丁を見ながら一言。
「これってブログネタになるの?」
しちゃいました
さて、これで私の料理の腕は上がるのでしょうか。。。?
豚に真珠って言葉知ってるか?
おまけ。
ハナミズキ
今年は鉢植えから地植えに替えたばっかりだったせいか一輪しか咲きませんでした