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リサイクル? [雑感]

のんびりモードもあとわずかになってきました。そろそろ次の仕事の山が来そうです。

のんびりモードの間にやりたいことはまだまだたくさんあるのだけれど、早く使いたくって使いたくってうずうずしていたものがこれ↓

念願のHB

実はこれ、実家で眠っていたもの。

母がずいぶん前に使っていたのだけれど、故障したのか何なのか、なぜか「捏ね」と「発酵」まではできるんだけど「焼き」ができなくなってしまったようなので処分しようと思っていたらしい。

故障してても「捏ね」と「発酵」ができるんなら「焼き」はオーブンでもできるし、もしかしたら故障してないかもしんないし~~ってことで一応もらってきたのがもうかれこれ数週間前。仕事が一段落したら使ってみよう~~!っとオアズケ状態だったのをようやく使ってみました。

その結果。。。

焼けるじゃん!

 

ふわふわじゃん~、気泡もなく綺麗に焼けてるじゃん~、結構美味しいじゃん

…っと興奮しながら食べ切ってしまって、写真撮るの忘れました

いやー、モノって取っておくものですねぇ。一体『故障』ってなんだったのやら…。

ちなみにこれ、現在市販されているHBと比べるとかなりデカイです。音もうるさいかも。なんせ説明書に記載されてるメーカーの〒番号が5桁の時代ですもの。

でも今回生まれて初めて強力粉を買った…というような私みたいな初心者にはこれで十分です。


そして、ここにも、廃棄処分になりそうだったものを再利用しているヒトがいました。


最近ゲットした段ボール。

お尻はみ出てますけどーー


せっかく暗くて狭くて気持ちいいのに写真撮らないでヨー。

 

モノは大切に使いましょうーー


お祝い事 [雑感]

以前少し紹介した私の友達の結婚式が日曜日にありました。

カレンのお散歩と食事の用意は相方にまかせて、私は彼女のパーティにおでかけです。


おでかけする母ちゃんにこれみよがしにラブラブな様子を見せつける二人。

羽交い締めにしなくっても、カレンはちゃんと父しゃんに寄り添うのだということを証明するため、相方はわざと腕をカレンからはずしています。
わざわざそういうとこを見せつけるとこがしゃくにさわるわぁ

 

パーティは「正装で」ということだったのだけど、この日は超寒くって肩出しイブニングドレスを着る根性がありませんでした。新婦はちゃんと綺麗なドレスです。


意図的ではなかったのだけど、ももさんやっぱり着てる服が赤だよー。

パーティは楽しく盛り上がって、私も久しぶりの友人たちにたくさん会えて楽しかったです。

新婦はアメリカ人なので出席者の半分くらいは多国籍~って感じで、MCを務めたのはオーストラリア人。日本語と英語がごちゃまぜ。私も久しぶりのかたこと英語で必死でした~。言葉って使わないと忘れるものなのねぇ。。。

 

パーティが終わったあと、別件で飲み友達から「飲んでるから来ない?」のお誘いがあったので、いつも一緒に飲んでるお店に行ってみると、常連客さんのお誕生日会が催されていました。

パーティでも何杯か飲んだあとだったのだけど、そこでも誕生日会主賓自らが赤ワインを振舞酒をしてくれて~気づいたらもうかなり深い時間になってました。

翌日、二日酔いになったことは言うまでもありません。
今回はストッキングは無事でした

二日酔いでもカレンの散歩は休めません。でも駆けっこはカンベンして欲しかった…。しぬかと思ったよ。


アタシ様を置いてけぼりにした母ちゃんは携帯取り上げの刑なの。


白い時間 [雑感]

唐突ですが、今回は絵の話題。

相方と私は笹倉鉄平さんという画家のファン。

元々は相方が笹倉鉄平さんの絵が好きで、私も影響されて好きになったのですが・・・。

 

昨年11月に個展があったので最新作を見に二人で出かけました。

お目当ての作品は「リュ・ド・ノエル」。

クリスマスの雰囲気がとても素敵です。

買っちゃった~
リュ・ド・ノエル」。

 

お目当ての絵はこれだったのだけど、展示されている絵の中には以前の作品もいくつかあって。。。

見つけちゃった…。

以前から大好きで、でも高くなってしまったので手が出せなかった作品。

 

白い時間(とき)」。

 

(あああ。あの絵がある。やっぱり何度見ても素敵だぁ~~。でも自分の財布で買えるような代物じゃないし~、相方は今回は「リュ・ド・ノエル」で満足しているみたいだし、同じような雰囲気の窓辺シリーズ「エバー・グリーン」はすでにお家にあるし~・・・。あああ、でもやっぱりいいなぁこれ。)

…なんて思いを言葉にはしなかったけど、顔の表情…いや、体全体から「欲しい~欲しい~」オーラを出しまくっていた私に、相方が

「しかたないナ。普段好き勝手やらせてもらってるお礼にクリスマスプレゼントしよっか」

って。

 

やった~~!

 

実際、まさか買ってもらえるなんて思ってもいなかったので、めーっちゃくちゃ嬉しかったです。

この絵、もう何年越しで片思いしてきたことやら。。。これがうちに来るなんて~♪もう感動の嵐なのです。

そんなわけで無事我が家へお輿入れ~


白い時間(とき)」。

 

上の2枚の絵。搬送されてきたのが実は父が亡くなる一日前でした。

ワクワクしながら箱を開け、飾って、ブログに載せようと写真を撮りまくって・・・。すぐに載せようと思っていたのだけど、父のことがあって載せる機会を逸してしまっていたのでした。

でもネ。この「白い時間」という絵には作者のこんな言葉が添えられているのです。転載するのはちょっとヤバそうなので概要を書くとこんな感じ。

「何も考えない時間というのは心地よいもの。
水平線のかなたへと思考も悩みも白く消えていく。
もし今がつらい時期でも、後で必ずそれは活かされるはず。
今という時間の中にはそんな『白い時間』も必要なのかも」

窓辺の手前にあるポートレイトの中の犬とたわむれている夫婦らしき二人の姿。窓辺のすぐ向こう側に海を向いて座っている老夫婦の後ろ姿。そして、波打ち際で遊んでいる二人の子供達。家族の形の過去と未来のおだやかな風景を想像させられます。

子供達の姿を私自身に置き換えてみたり、相方の息子「アニキ」がこんな優しいおだやかな家族を持つように育ってくれたらいいなぁなんて思ってみたり。。。

ここに載せた画像は小さいのでわかりにくいかもしれないけど、もし興味のある方は作者名とタイトル名でネットを検索してみてくださいネ。

 


個展では作者である笹倉鉄平さんとお話することもできました。絵の印象と同じように優しそうでおだやかそうな方です。握手してもらって、サインしてもらって、記念撮影までしてもらっちゃいました。


我が家には笹倉鉄平さんグッズもいっぱい。


サイン、カレンダー、画集、ポスターなどなど。

 

そして、我が家にある笹倉鉄平さんの絵。


オルタ・サン・ジュリオ」。

↑は相方のお気に入りで結婚前から相方が持っていたもの。

ホントは正面から写真撮りたかったんだけど、この角度から撮らないと光が写真に入り込んでしまうのです

 


エバー・グリーン」。

↑も相方のお気に入り。朝この絵を見るとエネルギーが湧いてくるそうです。

やっぱり窓からの光がちょっと入ってしまいました。絵を写真に撮るのって難しい

 


灯り」。

↑は私もお気に入り。タイトルどおり窓辺の灯りの暖かそうな感じが好きです。

 


雨のポルトフィーノ」。

↑は本物ではなくてポスター。

 

そして・・・?


あれ?絵の中にうーちんがいるだ。

 


手作り籠の店

 

おーい、うーちん、店の中にゆうちゃんいるの?


粉雪 [雑感]

2005年12月11日、日曜日。

父の入院先の病院に行っていた母から慌てた声でうちに電話がかかってきました。

「お父さんが息してない。すぐ来て!」

私は父のお店の自動車保険関連の作業でパソコンに向かっていたところでした。
ダダダっと階段を下りて相方に「お父さんが息してないって!」と叫ぶと、私はヘナヘナと崩れ落ちてしまいました。
目の前が真っ白になりました。
動悸がして、何をどうすればいいのかわかりませんでした。

相方はその日は会社へ行く予定でしたが、家に居ても大丈夫そうだということでたまたま家にいました。
相方が私を抱えるようにしてクルマに乗せ父の入院先に連れて行ってくれました。

「大丈夫!まだしんだわけじゃない。あのお父さんがそう簡単にしぬわけがない!」

私はほとんど自分に言い聞かせるようにそう言いました。
相方は「そうだよ。大丈夫だよ。」と言ってくれました。

病院に着くと目を真っ赤にした母が待っていました。
ほどなくして兄も到着しました。

兄もこの日は会社に行く予定だったのだけど、家でやることにして前日にパソコンを家に持ち帰り、家で仕事をしていたところだったそうです。

医師から説明がありました。
詳しい原因はよくわからないと言いました。
体に負担をかける治療に、体力がもたなかったのかもしれません。
元々、父は糖尿病で免疫力も体力も人より落ちていました。
73歳という年齢もありました。

人工的に呼吸をさせ続ければ生命は維持できるかもしれないけれど植物状態になると言われました。
延命措置。。。
このままだったらまもなく心臓も止まるだろうと。

今まで十分苦しんだ父をもう楽にさせてあげたいと思いました。
たくさんの管を体につけ、しんどそうにしている姿をもう十分見てきました。
私たち家族は、延命措置をとらないことを選びました。

「では、ご家族で看取ってあげてください。」と医師が言いました。
徐々に低い数字になっていく心電図を横目で見ながら、私たち家族は父のそばに立ちました。
母はずっと最後まで父に語りかけていました。

「お父さん、何やってんの。ちゃんと自分で息せりん!」

兄も父の耳元で大きな声で語りかけました。

「お父さん、聞こえるら?はよ起きや!」

私はずっと父の、まだ暖かさが残る手を握りながらしゃがみこんで泣いてばかりいました。
私もお父さんに語りかけなきゃ!
…そう思いながらもなかなか立ち上がることができませんでした。

頑張らなきゃ…。

立ち上がって父の顔に近づきました。

「お父さん、お父さん、お父さん。。。」

言葉になりませんでした。

治療中の父はホントに苦しそうでした。
でも私はこれを乗り切れば治るんだからとずっと思っていました。
だから病院でも私は父にハッパばっかりかけていました。
「つらいだろうけどもう少しだから頑張って!」
「スーパーじーじなんだからまだまだこれからも頑張ってもらわなきゃ!」って。。。
優しい言葉一つかけてあげていませんでした。
しんどい思いさせてごめんね。ハッパかけてばっかりでごめんね。優しい言葉をかけてあげられなくてごめんね。
そんな思いでいっぱいでした。

徐々に心電図の数字が低くなり、やがてゼロという表示になりました。
後ろに立っていた医師が確認をしに進みでてきました。
医師が臨終であることを口にしました。

私は相方の胸で声をあげて泣き崩れました。

 

父は入院中、少し調子が良くなってきていたとき私にこんなふうに言ってました。
「おまえが来ると元気が出る。おまえは即効性のパワーをくれる即効力。お母さんはそばにいてくれるだけで安心できる安心力。」

でも私は父が退院したあとにお店を続けれるようにという気持ちばかりで、なかなか見舞いに行かずお店にばかり行っていました。
こんなことになるなら、店に行っている時間の分、見舞いに行ってあげていれば良かった…。

父と最後に話をしたとき、私の声は聞こえているようでしたが、父は話そうとしても息が漏れてくるだけで何を話しかけようとしているのか私にはわからない状態でした。それでも私が話しかけるとニッコリ笑ってくれていました。
もっともっと父との時間を大切にすれば良かった…。

父がお店に復帰できるようにするために、頑張ってそれまでの間お店をつなぎとめておこうと思っていました。
何のために私は頑張ってきたの?
父はめったに褒めてくれない人でした。
私は父に褒めてもらいたかったのかもしれません。
父が元気になったら、私が父の代わりにやったことを全部手帳に書き留めておいて
「これだけのことをやったのよ!」って見せて
「おまえがこんなにやれる子だったなんて!」って言ってもらって…。

父は、母が来るのを待っていたかのように呼吸が止まり、兄と相方と私が来るのを待っていたかのように心臓が止まりました。
お父さん、私たちのために頑張って待っていてくれたんだね。ありがとう。

実家がマンションなので遺体を運び込めないということだったので
相方が「うちに来てもらおう」と言ってくれました。
父を私の家に連れて帰りました。
通夜は翌日になったのでその晩私は和室に自分の布団を持ち込んで、父の横で寝ました。
小さい頃、お父さんっ子だった私は夜中によく父と母の寝室に行き、母を押しのけて父と一緒に寝たのを思い出しました。

葬儀の日の朝、この地方にはめずらしく粉雪が舞いました。
兄はそのことを喪主挨拶のときに
「参列していただいた皆様にはご不便をおかけしましたが、ロマンチストだった父らしい演出です。」と言いました。

たしかに父らしい。

粉雪なんてロマンチックな演出をしておきながら、火葬場で自分がお空に昇っていくときには、雪もすっかりやんでお日様が照る青空にするなんてのも都合の良い晴れ男の父らしいと思うとちょっと笑ってしまいました。


父のお店は、父が亡くなったら閉めるということに以前から決まっていました。
相方が一週間会社を休んでくれて店の処分を手伝ってくれました。
それでもまだまだ今も店の処分は終わっていません。

父は何でも取っておくタイプの人だったようで、お店を片づけていると
「なんでこんなものがとってあるの?」と思うようなものがいっぱい出てきます。
そんな中で、去年、野球好きな父のために相方がプレゼントした日本シリーズのチケットが出てきました。
なんだかちょっと嬉しかったです。


10月の初めに発熱して2ヶ月。。。あっという間に逝ってしまいました。
私は、父は治るもの!とばかり思っていたので、悔やまれることがいっぱいあり過ぎてツライです。
もっと違う治療法があったのではないか?
もっと父との時間を大切にしたかった。
もっといろんなところに連れて行ってあげたかった。
もっといろんなことを教えてもらいたかった。

父との時間はまだまだこれから先もたくさんあるのだとずっと思っていました。
戻せるものなら時間を戻したい。。。


みなさんにいっぱいいっぱい応援してもらったのに、応えられない結果になってしまってごめんなさい。
でもとっても感謝しています。
みなさんのおかげで私も頑張れました。
ホントにホントにありがとうございました。

そして、こんなに長い記事を最後まで読んでくれて、ありがとう。

※カレンはいつも通り元気です。
お散歩は遅い時間にしか行けないのでいつもの公園には行けない日が続いているのだけれど、この子がいつも通りにやんちゃしてくれている分、その時間だけは父のことを忘れて、私もはしゃいでいられることができます。


追記(2005/12/22)

みなさんにいっぱい優しいコメントをいただき、本当にありがとうございます。
自分の記事を読み直しては涙し、みなさんからいただいた一つ一つのコメントを読むたびに心温まる言葉が嬉しくてまた涙が出てきます。

この2ヶ月の間に一気に父との関係が子供の頃のものに戻った気がします。
若い頃は「私は父が死ぬとき涙を流すことができるんだろうか?」なんて思った時期もありました。
とっても苦手だった時期もあったし、無関心だった時期もありました。
不思議なものです。今、少し落ち着いてきて、自分の記事を読み直すと、父が死ぬときの私はまるで置いてけぼりにされた小学生の子供のようです。
この2ヶ月が私をそうさせたのかな・・・っと思います。

今でもなんだかまだ実感がなくて、ふと父が横から現れそうな気がしたりします。
後かたづけでバタバタしているときは何も考えなくて済むけど、ふと1人になって考えると今も悔しくて寂しくて悲しくて声を上げて泣きたくなります。
カレンと公園に行って誰もお友達ワンコがいないときに、ふと父のことを思い出し、勝手にさっさと逝っちゃった父がちょっと憎らしくなって、小さな声で「お父さんのバーカ」と呟いたらまた泣けてきました。

みなさんにいただいたコメントへのお返事、もう少し遅くなりそうです。

ごめんなさい。


兄より年上の妹? [雑感]

今日はいつものようなカレンのブログぢゃないんだけど。。。


父の店で、父と20年来のつきあいがあるというお客様に会いました。

その人は、店にときどき手伝いに来ていた私の母や、小さい頃店にときどき遊びに来ていた兄と会ったことがあるらしいのです。私がその人に会うのはそのときが初めてでした。

その人は兄と同い年だと言いました。

そのお客様とお話していたときに、ももさんにとって軽いショック(ってほど大げさなものでもないのだけど)なことが3つほどありましたとさ。

(ショックその1)

客「娘さんがいるとは知らなかったなぁ、息子さんとはよく会ったことがあったけど」
私「不思議ですね。私もよく遊びに来ていたのに」

客「・・・で、あの息子さんはあなたの弟さんになるわけ?

 (;_;)(;_;)(;_;)

私「・・・です

 

5歳も年上の兄と同い年のお客様に年上だと思われてしまった

 

 (ショックその2)

客「お母さんともよく会ったよ。最初、お母さん見たときハーフかと思った」
私「そうですねぇ。よく言われます」
客「お母さん美人だよねー」
私「いえいえ、そんなことないですよー」

客「(私の顔をマジマジ見て)あなたはお父さん似だよね

 (T.T)(T.T)(T.T)

私「・・・母の素質を受け継げなくて

 

たしかに私は父似だけれど
母を美人だと褒めてくれたあとに言わなくても

 

(ショックその3)

客「まぁでもそこそこ綺麗になって良かったじゃん」

(;>_<;)(;>_<;)(;>_<;)

そこそこって

 

とどめの一撃でした

 

・・・かるくへこんだ一日でした。

 

前記事でカレンのことを「ぶさいく」呼ばわりした天罰か? 


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